皆さん人生で一度は、かけがえのない思い出が詰まった写真データやアルバムを無くしたことがあるのではないでしょうか。本当にショックですよね・・・。大概無くなった写真はもう手元に帰ってくる事はなく諦めるほかありませんが、奇跡的に失くしたものが持ち主のところへ戻ってくることもあるものです。今日はそんな興味深いお話をご紹介します!
ある日海の中で調査をしていたカナダ人大学生のダイバーは、海底に落ちていたカメラを拾います。見た目から判断して、何10年とまではいかないものの数年間海の底に残されていた様子。海の中でカメラを拾うこと自体も珍しいのですが、なんとまだカメラが生きていました!電源を入れることができたのです。カメラに残されていたものとは一体何だったのでしょう?
ダイビング調査
2014年の5月13日の朝に物語は始まります。カナダのブリティッシュコロンビア州にあるサイモンフレーザー大学に所属する海洋生態学専門チームは、その日近隣の美しい海での調査の準備をしていました。目的地はバンクーバー島近隣のバンフィールド沖。水質の研究を目的としたダイビングです。
この日の作業は、ダイビングをしながらそこにいる海洋生物に関してメモを取ることでした。ボートに必要な荷物などを乗せ、青く広がる海に向かいます。この時、まだ彼らは海が彼らに残したサプライズギフトのことなんて知るはずもありません。
今回の調査の目的
その日、わざわざ冷たい海に潜って調査をしたかった一番の理由は、この海域に生息している色々なヒトデを研究することでした。研究チームを組んでの大規模遠征。ヒトデの生息数やその生態に関しての研究を進めたり、新種を発見して大学の研究室で研究したりするために、ダイバーたちは意気込んでいました。
しかしながらこの日ダイバーの一人がその調査で遭遇したのは、ヒトデではありませんでした。海面からでは何なのかはっきりと判別ができません。彼はパートナーダイバーだったもう一人の生徒と近くまで潜って確かめてみることに・・・
予想外の発見
ボー・ドハーティ(写真左)とテラ・オスラー(写真右)が今回この謎の物体を発見した大学生です。まず海底にあるその物体に気づいたのはボーでした。指をさしテラに何か見つけたことを伝えたボー。テラもそれを見て一目でそれが海に属さないものである事はわかりました。この美しい海にゴミを放置しておくわけにはいきません。そんな思いで二人はその物体を回収しようとします。
海面からでは何かわからなかったその物体に近づいていくと、硬そうに見える縁と波に揺れるストラップが見えました。ボーはそのストラップを引っ張り、海中からその物体を取り出します。砂の中から姿を現した丸いレンズ。海洋生物や海藻などに覆われていましたが、二人は一目でその正体に気づきました。海中から出て行きたのは何とカメラだったのです!
持ち主はいったい誰?
ボーはとりあえずそのカメラを自分のダイビングバッグにしまって、海中調査を続けます。ですが泳ぐ彼の頭の中はカメラの事でいっぱい!一体誰のものなのだろう?このカメラはどうして陸地から離れたこの場所に、しかも海底にあったのだろうか?いつからここに落ちていたのだろう?
「ボーはカメラを拾い上げてポケットに入れ、そのままヒトデの集計をしていたんです。」チームを率いていた一人、イザベル・コート教授はその時のことを振り返ってそう話しています。「ダイビングから戻ってきた彼は、こんな物を発見したのだと報告してくれました。」予想外の発見にチームみんなが驚いた事は容易に想像が出来ますね。
カメラに興味を持った人がいた
ボーがカメラ発見の報告をコート教授に行った後、この古びたカメラに興味を持った人物が他にもいました。それはコート教授の助教授シオバン・グレイです。このカメラは単なるガラクタではないのでしょうか?
この日の遠征に一緒に参加していたグレイ助教授は、バンフィールド臨海実験所で水生植物の研究を行う人物です。彼女の目に留まったのは、カメラそのものではなくカメラの表面で生態系を作り上げた生物たちでした。人工の表面に生物たちが生活していることに興味を持った彼女は、カメラを持ち帰ってさらに詳しく見てみることにしたのです。研究室に帰ったグレイ助教授が見つけたものとは一体?!
カメラに居候することを決めた生物たち
グレイ助教授が驚愕したのは、何とカメラ内部でした。もちろんカメラの外側も数多くの海洋生物や海藻などがくっ付いていたのですが、カメラ内部では生態系そのものが出来上がっていたのです!
彼女がカメラを開けて発見したのはいくつかの海藻だけではありません。ナマコとクモヒトデ2匹がカメラの中に住んでいました。ヒトデによく似ているクモヒトデですが、ヒトデの親戚であってヒトデではありません。またサイズもヒトデより随分小さいのが特徴です。大いなる自然は海底に残されたカメラを乗っ取り、海洋生態系の一部に変えてしまっていました。これはグレイ助教授やコート教授が生態学の授業で教えている内容そのものでした。しかしながら、彼女が見つけたのはこれだけではなかったのです!!
価値ある発見
見た感じでは数年間は海中にあったと思われるこのカメラ。海洋生態系の一部になってしまったのだし、もうカメラは使えないだろうと皆さん想像しますよね?カメラが使えない事は事実なのですが、実は唯一生き残ったものがありました。このメモリーカードです!実はメモリーカードの耐久性はかなり優れているのだそう。グレイ助教授がカメラから取り出してみたところ、意外とメモリーカード自体の状態は悪くありませんでした。
このSDカードは黒い海藻に覆われてしまってはいたのですが、「もしかしたら・・・」という淡い期待も込めて、研究チームはコンピューターに挿入して確認することにしました。もし中身が確認できたら、このカメラの持ち主を見つけることだって出来るかもしれません。カメラの状態を見てもこのSDカードが使えるようには見えませんでしたが、とりあえずやってみることに。
SDカードが動作するかを確認してみよう
海藻に覆われたSDカードを見たグレイ助教授は、カード自体はほぼ無傷である状態を確認してワクワクしてきました。カメラを見つけてから数ヶ月後のインタビューで、グレイ助教授は「カメラを最初に見たときに思った事は、もちろんまだ写真のデータが残っているかどうかでした。」と話しています。時間が経ってもその時彼女が感じたワクワクは忘れることができないようです。
カメラからSDカードを取り出した彼女は、綿棒とアルコールを使ってSDカードを丁寧に拭きました。そして自分のコンピューターにカードを挿入し、深呼吸をするグレイ助教授・・・。運命の瞬間です・・・SDカードはまだ生きていました!!
失われていた思い出たち
この8GバイトのSDカードが生きていただけでなく、たくさんの動画や写真が残されていたことにグレイ助教授は大喜び!この写真でカメラの持ち主にたどり着けるかもしれません!
しかしながら、その作業が単純ではないことに気づく事になります。
他人の個人的な写真を見る事はあまりいい気分のするものではありませんでしたが、持ち主発見というタスクを達成するためにはこれ以外の方法がありませんでした。グレイ助教授は残されていた写真1つ1つを確認します。撮影日は2012年7月30日で、この写真に写っている人たちの集合写真が数多く記録されていました。
これでいいのだろうか?
写真データが残っていた事は嬉しかったのですが、グレイ助教授は誰かの所持品を勝手に盗み見ているようで後ろめたさを感じていました。しかも、全ての写真を確認しても、持ち主に繋がる手がかりなどは1つも見つかっていません。次に何をしたらいいのか、彼女は全くわかりませんでした。
ただ一つ、彼女がわかった事はこの写真がこの写っている人達にとって大事なものであるという事でした。何をして良いかわからなかった彼女ですが、諦めようとはしません。その努力が彼女に「手がかり」を引き寄せていました・・・。
調査開始!
自分自身だけのアイデアではどうにもならないと感じたグレイ助教授は、同僚のコート教授(写真の女性)に助けを求める事にしました。期待通り、喜んで調査に協力してくれる事になったコート教授。しばらく考えた彼女は、ソーシャルメディアにこの写真を投稿してカメラの持ち主を探すのがベストなのではないかと気付きました。
その翌日、彼女たちは#探偵たち(ハッシュタグ探偵たち)として、いくつかの写真をTwitterで公開しました。思ったよりも早く数多くのコメントや「いいね!」を集め、リツイートされましたが、写真の持ち主からの連絡は残念ながらありませんでした。数日経って、彼女たちは作戦変更を決断します。
ビラの配布
数日後、コート教授とグレイ助教授はソーシャルメディアだけでは力不足だと感じ、新しい事にチャレンジする事にしました。二人ともこのまま諦めたりなんかしません!このカメラは持ち主にとってはとても大切なものなのですから!色々試し尽くした二人は、もう何だってやってみようという気持ちでいました。
原始的な方法ではありますが、二人とダイビングチームの研究員は、写真をプリントアウトして街に貼ってまわることにします。するとまさかの事態が!!
何と地元の沿岸警備を務める人から、写真に写っている人に見覚えがあると連絡が来たのです!その人の話によると、この男性は近年難破船から救助されているとのこと。
写真に写っていたダイバー
連絡をくれた人からの情報をもとに調べたところ、その男性はポール・バーゴイン(写真参照)。実はご近所バンクーバーのアーティストでした!更に情報を収集したところ、彼は2012年に自身の船が沈没してしまう災難に遭っていました。しかもその場所はダイバーたちがカメラを見つけた辺りです。コート教授とグレイ助教授と少し話した後、その沿岸警備員はポールの電話番号を見つけ、連絡を入れました。
沿岸警備員はカメラを持ち主に返すことができると思いながらポールに電話をかけます・・その電話の横で、コート教授とグレイ助教授はついに彼女たちが求めていた結果に巡り逢えた事に興奮していました。まさかこれが終わりではなかったなんて誰が想像しましょうか!
ミステリーの裏側
2014年の5月末ごろ、グレイ助教授にこのミステリーを紐解く一本の電話がかかってきます。電話をかけてきたのは他でもないポール・バーゴインです。その時の様子を振り返り、グレイ教授は「彼はとても興奮して電話をかけてきました」と彼の様子を話しています。何年も前に失くしたカメラ。もう戻ってこないと思い忘れ去っていたものが舞い戻ってきた事に信じられない気持ちで一杯だった様です。ポールはカメラについて話し始めます・・・
「沿岸警備員からの電話を切った後、ポールと奥さんは二人して大笑いをし、どれだけ自分がラッキーかと話していたそうよ。」後にグレイ助教授はポールからそう聞いたと話しました。またポールはグレイ助教授にそのカメラがどれだけ大切なものだったかを話しました。
かけがえのない写真
カメラに残されていた写真は、他の家族集合写真とは異なった目的で撮られた写真だったため、ポールにとっては本当に大切な写真でした。カメラに残されていた多くの写真は亡くなったポールの母親の遺灰を、家族で海にまいた時に撮られたものだったのです。その大事なカメラを失くした時は本当にショックだったに違いありません。母親との最後の思い出が詰まっていたのですから。またこのSDカードには、ポールが好きなスキューバダイビングやシュノーケリングの写真(参照)も残っていました。
この話を聞いてグレイ助教授は疑問に思います。「何故そんなに大事なカメラを紛失してしまったのだろうか・・・?」ポールはついにその悲惨な理由について語り始めました・・・!
悪夢の始まり
2012年7月20日。全ての物語はここから始まりました。この日ポールはブリティッシュコロンビア州のターシスという場所にある別荘に向かっていました。何が起こるかわからない海上。彼の運命は一瞬にして悪夢へと変わっていきます。
当初は何もかもが順調でした。予定していた行程をほぼ問題なく進んでいます。ポールはその時の気持ちをこう振り返っています。「こんなに穏やかな海に恵まれてラッキーだ。ゆったりと1人で船の後方に座って、これ以上のものがあるだろうかと考えていたよ」
しかしながら、その後天候が急変し彼にとっての「悪夢」が始まります・・・!
不運な旅路
旅程も最終日へと入りました。問題なくたどり着けるだろうとポールは考えながら船を進めます・・・。しかしながらその午後、不運な事に彼は巨大な嵐に向かってまっすぐと突き進んでいました。
あまり海のことが詳しくない人に説明しておきますが、この様な海上での天気の急変は本当に一瞬で起こります。穏やかで美しい海が一瞬にして恐ろしく荒々しいものに変わってしまったのです!!ポールは自分自身を落ち着かせながら、その場を乗り越えようと自分の腕を信じる他ありませんでした。しかし大しけとなってしまった海・・・。彼の懸命な努力も虚しく、船は沿岸近くの暗礁に衝突してしまいます。そのパニックの中で、ポールは海に飛び込み、何もかも失ってしまいました。母親との最後の思い出が詰まったカメラも・・・・。
恐怖の事故
岩礁に衝突したポールの船は瞬く間に粉々になり、瞬く間に海へ沈んでしまいました。ほんの数分で凍りつく海水の中で動けなくなってしまったポール。冷たい海水にどんどん体温が奪われていきます・・・。彼は走馬灯の様に今までの人生が頭を過ぎりました。「もう助からないだろう・・・」そう彼は思いました。
幸運な事に、海沿いの宿の宿泊客がポールを見つけて沿岸警備隊に連絡を入れてくれました。それでも凍える様な海水の中で6時間も待っていたポール。無事に救助された彼は、しばらく入院して回復することができました。入院していた彼を献身的にサポートしてくれたのは、地元の人々でした。
ポールを支えた人達
沿岸警備隊がポールを海から救出した次の朝、地元のカナダ紙がポールの救助に関して報道しました。すぐさま友人や家族、そして見知らぬ人までもが入院中のポールを支えようとしてくれました。多くの人が彼の回復を願う手紙やカードを送り、時には贈り物や食品などを届けてくれる人までいました。しかも地元電化製品店のFuture Shopは彼が失くしたカメラを無償交換すると申し出てくれたのです。
新品のカメラや温かい掛け声はもちろん有難いものでした。しかしポールの心の傷は癒えません。あの数秒で失ったものは果てしなく大きく、何にも変えられないものでした。
その災難から学んだこと
もちろんポールは海難事故から救助されて生きていられることや新しいカメラをもらったことなどに感謝の気持ちでいっぱいでした。ですがカメラに残されていた写真だけではなく、数えきれない大切な所持品を事故で失ってしまいました。事故当初、ポールはその事実に大変落ち込み、喪失感に苛まれてしまいますが、そんな彼も時間と共に事実を受け入れることができる様になりました。失くしたものは彼の命には代えられないものなのですから。
彼が失ったものの中で、一番ショックが大きかったのはカメラでした。その他のほとんどの物は新しいものと交換ができるものですが、撮ってあった写真は撮り直す事なんてできません。何年もポールはそれらの大事な思い出を失ったと感じていたでしょう。そんな彼が沿岸警備員から電話をとった時の喜びは相当のものであったと想像できます。
舞い降りてきた幸運
電話で話を聞いたポールは、まず長い間失っていたカメラが戻ってきた事を信じられませんでした。「ただ衝撃だったよ。カメラが戻ってくるなんて、しかも写真まで。本当に信じられない事だよ」ポールは後日インタビューで話しました。「あの時から電子機器の凄さを崇拝する様になったよ。多くの人が2年ごとに新しい機種に買い換える世の中だ。なのに、あの小さなSDカードが生き延びていたんだからね!」
最近、この写真たちは物を大切にすることをポールに教えてくれる存在になりました。最初はカメラを諦める事で命の大切さをポールに問いかけた物でしたが、父なる海はポールにカメラを返す事で。今は感謝することを彼に教えてくれています。
本当にラッキーだったポール!でも実は彼以外にも幸運の持ち主がいたのです。
他にもあった幸運な出来事
信じ難い話かもしれませんが、地球の裏側で長い間失われていたカメラが発見されたことがあります。今回このカメラは台湾の海岸で見つかりました。相当長い間海の中にあったのでしょう。カメラは綺麗にフジツボに覆われて、完璧に海の一部になりきっていました。ですが、なんとまたこのカメラがまだ生きていたのです!
カメラが入っていた防水ケースの業者は、この写真を掲載すればもっと売れるに違いありません!ちなみにこのカメラは子供たちに発見され、その子供たちの先生が持ち主探しをする事になりました。
失われたもう一つのカメラの物語
そのカメラを海岸で見つけたのは11歳の児童でした。その児童はカメラをリー・パーク先生に手渡しますが、最初先生は戸惑いました。単なる岩だと思ったそうです。カメラとその後気づきましたが、もちろん機能するだなんて思いもしませんでした。「カメラはもう死んでいるだろうと誰もがそう思いました。でも偶然カメラにくっついていたフジツボが取れて、ケースを開閉するボタンの様なものが見えたんです。」後にリー先生はそう話しています。
しかも海水1滴もカメラケースの中に入っておらず、中のカメラ自体は非常に良い状態でした。「さらに驚いたことに、その子がカメラの電源を入れたら起動したんですよ!まだ電池まで残っていたなんて!」そうリー先生は話を続けました。先生と子供たちはすぐさま学校へ戻り、このカメラについて話し合いました。
写真を確認してもいいのだろうか?
海岸から学校へ戻った先生と児童たち。このカメラをどうするか話し合いました。「僕たちが拾ったのだから、僕たちのものなのではないかと考えた児童もいれば、持ち主に返すべきだと言う児童もいました。なので1度座ってみんなでこのカメラをどうすべきか考えました。」リー先生はその時の様子を思い出しながら語ります。しばらくして、児童みんなの意見が一致しました。
リー先生も児童たちも持ち主を探したいのであれば、カメラに残っている写真を確認しなくてはいけない事を理解していました。グレイ助教授とコート教授の様に、彼らもまた他人の写真を勝手に見るという行為に複雑な気持ちを抱きます。ですが、持ち主を探したいのであれば、見る以外の選択肢がありません。クラス全員これが正しい選択だと同意しました。
確認できた写真は?
写真を確認し始めてすぐ、先生と児童たちは一つ重要な事に気づきました。写真の多くが日本で撮影されたものだったのです。これで所有者は日本にいるということがわかりました!その後、リー先生はこの写真をFacebookに投稿し、日本語と中国語で説明を加えました。
グレイ助教授とコート教授と同様、先生と児童たちもソーシャルメディアで持ち主か見つかるのかどうか全く見当がつきませんでした。残念ながら結果的にこの作戦では上手くいかなかったグレイ助教授とコート教授でしたが、なんとこの台湾のクラスは大成功を収めることになるのです!その後、この写真と先生と児童たちの物語は話題となりました。
SNSで拡散されていく情報
もちろん先生と児童たちもFacebookに投稿することでカメラの持ち主を探し出すことができると期待していたのですが、まさかここまでこの写真一つが劇的に拡散されるとは思っても見ませんでした。なんとこの投稿は数日間だけで10万シェアと5万以上のコメントを得ることが出来たのです!しかも今回は、情報拡散されただけあってカメラの持ち主本人が現れたのです!
投稿がFacebook上で拡散されてから数日経って、リー先生はカメラの持ち主だと言うダイバーの椿原世梨奈さん(写真)からメッセージを受け取りました。その後、10歳〜11歳の児童たちが彼女にあってカメラに返す日を待ちきれなかったことは言うまでもありません。
椿原世梨奈さんとの対面
カメラの持ち主だった椿原世梨奈さんはFacebookの投稿を見て「信じられない気持ちだった」と後にBBCのインタビューに語っています。彼女からメッセージを受け取ったリー先生と児童たちは、自分たちの選択が正しかったのだと沸きました。彼らがこの後すぐに知ることにはなりますが、このカメラも彼女にとって大切な物でした。
「友人がこのFacebookに掲載された写真を送ってきた時は本当に驚きました。」椿原さんはそう話を続けました。日本の大学生だった彼女は、お気に入りのダイビング休暇の写真が残されたカメラが発見された事を本当に喜んでいました。彼女はすぐクラスのみんなに連絡を取り、失くしたカメラについて話すことになりました。
カメラの紛失
椿原さんによると、台湾の東250kmの海上にある沖縄の石垣島に休暇に出かけた際にカメラを失くしてしまったのだそう。「その時私は友人たちとスキューバダイビングをしていたのですが、友人の1人の酸素が無くなってしまって、必死に助けようとしていました。」
もう一つの物語と同じ様に、生と死の狭間でカメラを紛失してしまった様ですね。
カメラを海中で落としてしまったのは2015年のこと。もちろんその時、もう永遠に取り戻すことはできないだろうと彼女は思いました。一方そのカメラは、しっかりと水中ケースに収まったままちょっと旅に出ることに。カメラはしっかりケースに保護されたまま数100km以上流れて、最終的に台湾の海岸に打ち上げられたのです。
感謝感激!
数年も前にカメラを失くしてしまった椿原さんは、まさかそのカメラが台湾の海岸に打ち上げられて、しかも子供に見つけてもらって、失ったと思っていた大切な思い出が手元に戻ってくるとは想像もしてみませんでした。「本当にラッキーだったと思います。今までの人生の中でこんなに人の優しさを感じた出来事にめぐり逢えて幸せです。」彼女はそう話しました。「この写真たちは懐かしい思い出を蘇らせてくれるものなんです。」
現在の椿原さんは、時折この写真を見返して、この最高の休暇自体を思い出すだけではなく、この写真を彼女に返してくれた素晴らしい先生と児童たちのことも思い出すのだそう。このクラスのみんなに感謝の気持ちでいっぱいだった彼女は、何か彼らに恩返しをしようと考えます。
その恩返しとは・・・?
見つかった写真をメールで送ってもらう様にリー先生にお願いすることも出来ましたが、椿原さんは自身の気持ちを伝えるために台湾へ行くことに決めました。落とし物を受け取るためにここまで遠出する人も珍しいです!ですが彼女にとって、彼らが見つけてくれたこのカメラよりも実際に会うことが大切なことでした。さらに失くしたはずの大事な思い出が帰ってくるのですから!
椿原さんは台湾へ行き、彼女をカメラに導いてくれた生徒たちに会うことが出来ました。(写真)これで話が終わったとみなさん思いましたよね?実はまだ続きがあります!この若き女性は生徒のために最後に何かサプライズをしようと考えるのです。
サプライズを企てる
台湾にカメラを受け取りに行った時、彼女はまだ学生で予算も厳しい状況でした。事実、航空券を買うお金を貯めるために、クラスのみんなと連絡を取り合ってから台湾に行くまでに数ヶ月も待たなければならなかったぐらいです!やっと台湾に到着した彼女は、子供たちに何もプレゼントを準備出来なかった事を少し申し訳なく思っていました。
カメラをしっかりと鞄に入れて日本へ帰国する飛行機の中で、彼女はこのカメラを見つけてくれたクラスに感謝の気持ちを込めて何かサプライズができないかと考えました。そんな時に彼女はこのクラスが6ヶ月後ぐらいに3年生を卒業する事を思い出しました。彼女の頭にあるアイデアが浮かびます・・・!
卒業式サプライズ
椿原さんは3年生の卒業式でもう一度クラスのみんなに会いにくるサプライズを決行したのです!!今回はおもちゃやお菓子、手作りのお手紙など素晴らしい贈り物の数々を持って、しかも何の事前連絡もなく台湾にやってきました!台湾の地元紙の報道によると、子供たちは「古き友人」との再会に大喜びだったとか。椿原さんのサプライズは大成功!と言っていいでしょう。
近年も椿原さんはダイビングを続けていて、このクラスが中学校を卒業する時にまた訪ねたいと考えているそうでした。因みにダイビング中に誰かが失くしたカメラより面白いものは発見したことが無いそう・・・。でもダイバーの中にはカメラよりももっと凄いものを見つけた人もいます。
カメラよりももっとスゴいものとは?
グレイ助教授やコート教授、そして私たちが生まれる随分前の話です。今現在のエジプトやスーダンは絶対君主と言われたファラオに統治されていました。ファラオの多くは死後に大きなピラミッド内部に埋葬されていることは皆さん少しはご存知でしょう。今現在もピラミッドは歴史上最も素晴らしい建築物だと考えられています。実はまだまだ古代文明には隠された謎も多いのです!
フォラオが統治していた時代から2300年以上たった現代、ダイバーで水中考古学を専門とするピアーズ・クリースマンは新たに見つかったピラミッドを調査しようとしていました。なんとこのピラミッド、一部が水中にあるのです!この調査は危険でリスクを伴うものでしたが、その先には思いがけない発見が待っていました。
ピラミッドの下へ潜る準備
この奇跡の物語の最後を飾るのは水中考古学者のピアーズ・クリースマンではあるのですが、彼の同僚カースティン・ローミー(写真)がその最後の物語の発起人です。カースティンは長い間ヌビアのファラオ(王):ナスタセンの墓を探していました。このナスタセンの墓を見つけることで、一時期北アフリカの多くを支配していた古代クシュ王国について何か新しい情報が手に入るのではないかと考えていたのです。
そして彼女はついに墓のありかを知ることになります!古代文書によるとナスタセンはエジプトとスーダンの国境にある未開のピラミッドに埋葬されているというのです。しかしながら、問題がありました。多くのピラミッドがまだ「未開」であることには理由があるのです。
目指すべきピラミッド
古代文書からナスタセンの墓がヌリ遺跡郡のピラミッドの下にあるとわかったカースティンは落ち込みます。このピラミッドがなぜまだ調査されていないのか。それには大きな理由がありました。実は北スーダンエリアの地下水が増水したため、ピラミッドの大部分が水に沈んでしまっていたのです!この墓の調査には水中考古学の知識が必要となりますが、水中考古学はまだあまり進んでいない研究分野でした。
難しい調査であることはわかっていたものの、カースティンはヌリ遺跡へ向かい、ナスタセンの墓があると言われるピラミッドをついに目にします!この時のカースティンの高鳴る気持ちは相当なものでした。彼女と一緒にきた調査チームメンバーは、ナスタセンの墓発見に意気込んでいます。ナスタセンの墓は見つかるのでしょうか?!ぜひ下の「次ページ」をクリックしてその結果を見てみましょう!